悩み事が多すぎる私を見かねて友人が教会に行くことを提案してくれました。礼拝じゃなくて日々の悩みを相談出来る集まりに参加しました。キリスト教の学校に通っていたので教会は好きな場所です。キリスト教学とキリスト教の先生には価値観が大きく変わる良い影響を与えていただいたので、とても感謝しています。10代~の多感な年頃に心身ともに自立し、自分の言動に責任を持って隣人に愛情と感謝を捧げることを教えて頂きました。心から納得し実践しようと決意したのは学校の教会でした。社交不安症の治療が初まった際にもキリスト教学で習ったこと、先生が私の若い、浅い主張に真剣に向き合って下さったことは、私が自分と他者との関わりに絶望した時に一筋の光明として生きなおしの希望となりました。
10年以上ぶりに教会に行くと初めて行ったところにも関わらず懐かしい気持ちになりました。かざらないお花や聖句を見るにつけ、日常を生きる人々が祈りを捧げる場所は人と人が交流する憩いの場として存在する貴重な居場所だと再確認しました。卒業してしまうと心静かに祈りを捧げる時間も場所もなく、日々の仕事・目標・するべきこと・雑念(仕事で出世したい、楽がしたい、あの人が嫌い・お金が欲しい、きれいになりたい等)に追われがちになり、平穏無事に暮らし、衣食住の心配の無い毎日に感謝する時間が無くなってしまっていました。内省のきかっけとしていろんな思いがこみ上げてきました。10代~の多感で素直な気持ちを思い出し、人と人とが関わり合う場所の重要性について考えました。
なかまの会の会合では同じ症状を抱えつつ、学業、仕事、育児に前向きに取り組む会員さんのがんばっておられる姿と真摯な言葉に元気づけていただくことばかりです。生身の人と人とが関わり合う場所としてのなかまの会の会合を大切にしています。会員の皆様いつもありがとうございます。Anais
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